ソーシャルメディア時代に向けて日本発のオリジナルサービスだった関心空間

関心空間のサービスが2016年の10末で終了した。2001年にスタートした時はまだ世の中にソーシャルメディアという言葉も無く,CGMやSNSもブログも無かった。当時はコミュニティサービスという言い方だった。

関心空間は前田邦宏とバスケこと鈴木陽介,上坂江平という異なる3人の強い個性が生み出した間違い無く世界初のオリジナルソーシャルメディアだった。商品やサービスや様々なキーワードをエントリーするとそのキーワードにコメントをつけられたり,つながりをつけられたり,その人がエントリーしたキーワードを見ているとその人がどんなライフスタイルなのかこだわりがあるのかが一目でわかる(素晴らしいデータなのでこれを活用した出会い系サービスまで提案したことがある)。コミュニティと言えば最大なのは2ch。当時こんなネットサービスはまだどこにも無かったのだ。

2003年当時の関心空間

Web2.0とともにマネタイズを目指した関心空間

そんな関心空間は友人であり仕事仲間であった前田氏から「いいとものテレフォンショッキングのように色々なつながりで次々と情報に接することができる」というコンセプト段階から相談にのり,サービスが立ち上がった後にユニークIDという前身の会社の取締役になるところから私の関わりはスタートした。Appleで言えばマイク・マークラみたいな立ち位置だったのだろう。私の役割はビジネス化だった。

以下の図は私が当時書いた一枚の絵だ。これがそのまま最初の事業計画書の最初のページになった。当時のポータルサイトのビジネスはアクセスを稼いでPV量を広告価値に転換するというものだったが,関心空間の目指したものは売りたい人と買いたい人のためになる良質なコンテンツを提供するという今で言えばコンテンツマーケティングのコンテンツフィードのポジションだ。

2005年当時の事業コンセプトチャート

そしてちょうどWeb2.0のウェーブが来た。SNSやBlogも次々と登場し,我々も一気に成長できるチャンスが到来したと考え,会社名も関心空間に変更し,VCから資金調達を行い勝負に出た。

コンテンツの価値化への挑戦

以下の図は当時使っていた関心空間のコンテンツを分析したチャートだ。関心空間には様々なコンテンツがあるだけでなく,それぞれがつながりを持っており,しかもそのつながりに各自が名前をつけていた。我々はこのつながりというコンテクストの価値はとても高いと考え,これを分析するという仕事も受注した。現在D4DRがソーシャルメディア分析を行っている原点はこうしたコンテンツの分析だ。

しかし,最大の課題はマネタイズ。こうした分析の仕事を当時たくさんとるのは難しい。まだDMPも無い当時我々のコンテンツはAdSenseやアフリエイト広告に依存した。実際Amazonや楽天からのアフリエイト収入は増加していた。しかし,個人の趣味のサイトとしては大成功でも,資金調達をしたスタートアップ企業にとっては脆弱な収益基盤だった。様々な広告商品を企画し,そこそこの販売はできていたが,mixiなどが急激に成長し,Web2.0のビジョンとは真逆のマスメディアとしての広告ビジネスが全盛になる中でロングテールなアフリエイトをかき集めたビジネスモデルの弱点を克服することはできなかった。会社としては関心空間の斬新さを見て舞い込んで来る受託の開発案件の売上の方がどんどん増えるという状況だった。

早すぎたと言えばそれまでだが,同じようにコミュニティサイトだったアットコスメはしっかり成功を収めた。600万PVまで行きながら収益モデルを作れなかった事実はやはり経営に関わっていた一人としては残念ながらマネタイズに失敗したと認めざるおえない。

最後の関心空間

ありがとう愛された関心空間

しかし,当時からインターネット業界に関わっていた多くの人に関心空間は愛された。それだけサービスとしては魅力的だったのだ。αブロガーになった人達も多くが使ってくれていた。今のfacebookやTwitterですら足りていないものを持っていた。

個人的には学ぶことも多く,大企業のコンサルティングだけでは得られない貴重な体験をたくさんした。しかし,この失敗を活かし,本当の意味での自分の興味関心からつながりを作り,ビジネスにしていくサービスへの挑戦は忘れていない。現在関わっているサービスも多くがコミュニティが鍵だ。いつか関心空間への恩返しをするためにもコミュニティをビジネスにする挑戦は続けるのが私のひとつのミッションでもある。

ありがとう関心空間。ありがとう関心おじさん。そして一緒に頑張ったたくさんの仲間達。

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