日常から闇を遠ざける現代社会

毎年どんどんヒートアップするハロウィン仮装ブーム。ハロウィンの渋谷のスクランブル交差点は若者にとっては自己表現のステージそのものだ。ただこれを馬鹿騒ぎと眉をひそめる大人達もいる。

ハロウィンはケルト民族の風習から来ていると言われているが,悪霊など闇の世界がすぐそこにあると考えられていた時代からすると現代社会はずいぶんと闇を排除してきた。しかしそのことが人間の生活において綺麗な部分しか認めない社会を作ってきているとも言える。人間社会において生と死は必然な出来事だ。しかし,いつのまにか死は遠ざけられ,生に繋がる性的なものも忌み嫌われるものになってきている。

そしてそのことが淡々とした平穏な日常だけを良しとし,猥雑としたものを街からどんどん排除する方向に繋がってはいないだろうか。そしてその淡々とした状態で毎日単調に生きている若者が生きる意味を喪失し自殺しても,男女の交わりを持つことなく時だけが過ぎていても仕方無いと感じていないだろうか。

ハレとケを意識した社会システムの再構築が必要

かつて地域の共同体を治める長老達は「ハレとケ」を重視した。日常の淡々とした労働と祭りなどに代表される非日常のバランスを作るのだ。普段はおとなしくまじめな若者達が祭りでエネルギーを放出し,そしてその状態が男女の出会いを促す。祭りは儀式や踊りなどエネルギー状態を高めハイテンションになる仕掛けが多数仕込まれている。普段大人しい村の娘に祭りの夜に大胆な行動を促す効果があったことは想像に難くない。人間にとって日常と非日常のバランスはとても大事だ。そのことを高齢化社会で穏やかな修道院的な生き方をしている現代の長老達は忘れていないだろうか。自分が穏やかに生きたいからと感じても社会の仕組みにしては行けない。

渋谷のハロウィンを見ればやはり若者はケの非日常を求めていることを強く感じる。高齢化社会になればなるほど,そうしたテンションの高いエネルギーを疎んじる人が相対的に増えることを我々は意識しながら考えなければ行けない。少子化対策も若者の自殺率を減らすにもどちらも根本は若者のエネルギーと非日常である生(性)と死をもっと身近に意識させるべきだろう。ハロウィンだけでなく,祭りなどの意味を再確認し,非日常を多数用意することはとても重要だ。狂信的な政治活動に比べればハロウィンのようなどんちゃん騒ぎなど可愛いものだ。

そのためにももっとハレとケを我々の社会システムに取り入れるべきだろう。そのためにはルールの弾力的な運用も必要だ。リスクゼロを前提とした様々なルールは「ハレ」の状態を否定することに繋がる。悪法で有名なダンス規制もようやく緩和の方向だが,小さい幼児の保育園ですら騒音がうるさいと反対するような人々がたくさんいるかと思うと頭が痛い。

ストイックな生き方もラテンな生き方もどちらも日本人は持ち合わせている民族だ。どちらも出しながら生きていける社会にしていこう。ハロウィンの馬鹿騒ぎの裏にはそうした自分をもっと出していける舞台装置への強烈な渇望を感じずにはいられない。

*REVOLVER dino network 投稿 | 編集